心の森に花の咲く 心の森に花の咲く 小径は曲がりくねっている 水は冷たく澄んでいる ぼくは汗もかかず歩いている ぼくの息は ぼくの歩幅だ ちょうど良いときに君がきて ぼくはちょいと肩の力をぬく 風がぼくらの前を通り過ぎていった それは冷たい季節のまえぶれ ぼくは君の手を握りしめた あるときのぼくは一本の木 森から遠くはなれて風を待つ あるとき ぼくじゃないぼくを夢見る ひっぱりあげて欲しいんだ 背骨の折れかかっているぼくを 心の森に雨の降る くっついて離れない ひとつのイメージ 眠れない夜にシャベルを持ち ぼくの背丈の分だけ掘り起こし 君に埋めて欲しいこのぼくを 君に埋めて欲しいこのぼくを あるときのぼくは一本の木 森から遠くはなれて風を待つ あるとき ぼくじゃないぼくを夢見る ひっぱりあげて欲しいんだ 背骨の折れかかっているぼくを もどる 月を見にいかないか 月を見にいかないか 風土記の丘のうえ たおやかな風を感じて 誘われるままにやってきた 夢の王国の囚人になっていた 予言者のように答えを求めても おもいこみじゃ何もみえない 十月の夕暮れは はじける原子が弧を描く たき火を囲んで肩よせあい 輪になって暮らしていた 石器時代の原始人になった気がして 月を見ると 月がぼくを見ている すべてはあるがまま たえまのないお喋りをやめ 心やすらかなとき 空はキラキラ澄みわたり オリオンと月はおいかけっこ ずぅーとぼくらは遺伝子の乗り物だった ポケットのなかの懐かしい未来 心がかるくなる かるくなる いつだって消えることのない この想い またあのすばらしい旅へでよう まだ見ぬ世界は月あかりのした 月を見にいかないか もどる 君の肩越しに拡がる世界を見つめている 君の肩越しに拡がる世界を見つめている ひとりじゃこんなに遠くまでくることはできなかった 瞬きするまのように 十年がすぎた 欠けたままの月を追いかけていた 自分をみつけることはないかい 地球の影に入った月のよう いまはぼくが君にはよく見えない いまはサイクルがすこしずれているだけなのさ いまでも君を見つめているよ ずぅーとずぅーとさきに無限大に ずぅーとずぅーとさきにピントをあわせ これが運命さと人はよく言うけれど 終りのない欲望に疲れた影をひきずって なにをよりどころに生きているのか 引き離された深みに顔をのぞきこませ 街には隙間を埋めるものであふれている だけど ふと振り返ってみれば きっといきたいところがあったはずさ きっとなりたい自分を知っていたはずさ 光がぼくらをいぬくとき ずぅーとずぅーとさきに無限大に ずぅーとずぅーとさきにピントをあわせ ずぅーとずぅーとさきに無限大に ずぅーとずぅーとさきにピントをあわせ もどる ゼロにたっている ブルーにこんがらがって 果てしなく ひろがっていく 空はベクトルを変えながら 沈んでいく めぐりめぐって 突然 時代の突先に たたされた どこへでも 行ける いつだって 止められる 絡み付いた知識の糸で 踊り狂う 悲しい目のマリオネット 今がその時 喋らない声に耳すます 窓辺に一枚の絵 絵の裏側に もうひとつの顔 三つの月と少年のピカソは白い鳩を抱く まるい瞳に映る 旅した青い空 ゼロにたっている 脱ぎ捨てられた未来 約束された朝に おいら白い鳥になった夢を見る なぜか うすいベールを剥ぎ取った 空は深いブルー ゼロにたっている ゼロにたっている もどる ここにおいでよ ここにおいでよ 人生が こんなに楽だとは思わなかった ゆったりとした時のなかで これでいいのかなと思ってしまうけれど 夢などかなうはずもなく 生きることは厳しいと教えられてきた 自分にないものを求められ まにあわせの自分でいることが ひとつのルールのように感じてた どんなにじょうずに歩いていても 生きることはあやふやだけど たしかにここにいる そう気がついたとき ぼやけた景色に色があふれだす ピントのあった瞬間がある ここにおいでよ 人生が こんなに楽だとは思わなかった ゆったりとした時のなかで これでいいのかなと思ってしまうけれど もどる 夜行列車はゆれる 夜行列車がレールを打つ ずぅーとずぅーとちいさいころから聞いていた そこにはおいらを満たしてくれる何かがあるような気がして 自分より遠いところへ 行きたいと思ったものさ いつもいつも堂々巡りの自分でしかないから 風が吹いていて 風はおいらの背中にはいりこむ 我を忘れて目に映る景色にとけてしまいたい 何の意図も知らされないまま この世に放りだされた おいら家を出て夜行列車のなか 遠くのひとつの光を軸にして夜行列車は走る 夜行列車がレールを打つ ずぅーとずぅーとちいさいころから聞いていた そこにはおいらを満たしてくれる何かがあるような気がして もどる おわり始まり ねぇぼくらどこへ行く まだある時はなにに使うつもり もう言い訳は言いたくないのさ 逃れられない自分がいる うなだれたまま石のようにかたくなで ゴーストたちにあやつられている ねぇぼくら生きていると言える こそくなやり方は自分をもだます 希望は遠くからやってくるのか その時をぼくら待ち続けているのか 生きるだけで精一杯だったね 幸せなときだとも気づかないまま 君がどんなに素敵か誰も知らない 君の計画はまだ頭のなか とにかくやりたいことはやろう 誰も笑ったりはできないさ ここは死んだように平和な街さ このまま目をつむったままでもいられるさ 大きなうねりを感じながら 橋を渡るときがきた おわり始まり 始まりおわり ぼくら何度死んで何度生まれ変わる 何度でも生きてやろう 何度でも生きてやろう あいつをつかまえて いくつもの時代をくぐり抜けてきた魂のように すべてをのみこみ生きぬいてきた女たちのように 何度でも生きてやろう 何度でも生きてやろう あいつをつかまえて あいつをつかまえて おわり始まり 始まりおわり おわり始まり もどる さよならケルアック きのう本屋で 君の本をみつけた 30年ぶりに翻訳されて 19の夏君のオンザロードで旅をした はてしないアメリカ ヒッチハイクで 本をとじるまもなく 家をとびだした 長距離トラックにとびのった いつしか路上は ぼくのバイブルになった 60年代アメリカ ケルアックを追いかけまわし 彼をビックサーへと追いやった 壊れゆくそのやわらかい精神よ 打ち砕かれた波の詩を聞き 生きるものすべてにその眼差しをむけ 君の生き方は善良さ 悲しい人間たちの悲しさゆえの成り行きから逃れて ☆ さよなら ケルアック さよなら さよなら ケルアック さよなら ぼくは ぼくなりにやるさ バイブルのない旅にでるんだ あれからもう19年たち 酔いどれ詩人はもういない ぼくも もう三十八歳に 君がビックサーを書いた年令さ もうあの頃には戻れないことは知っている でもすこしだけ悲しさからは逃れて いつでも自由な気持ちはなくさない ☆ くりかえし きのう本屋で 君の本を見つけた それは本当に偶然にだった もどる ぼくはここにいる もちろん ぼくはここにいる ここにいることがすべての始まり みはてぬ夢は空の雲のように風に吹かれている 恋したあの日はきっと忘れないだろう それは過ぎ去った時間をいとおしく想うぼくなのだ 遠くの方で誰かが死にそうだとしても何かできる訳じゃない その痛みに深刻な顔をすることも出来るだろうけれど それぞれの生命のなかに輝きをみつけるべきなのだ ぼくはここにいて ぼくにできる最良のやり方で 君とぼくたちの関係のなかで生まれるであろう幸福と ながいながい雨の後 すっかり晴れ渡った空の下で ゆっくり今をあじわいつくすことをめざすべきなのだ 失いたくないものもあるし 捨ててしまっていいものもあるでしょう 方法論の問題でも 好みやスタイルでもない ただどう生きてきて どう生きていて どう生きていくかだ ぼくはここにいて ぼくにできる最良のやり方で 君とぼくたちの関係のなかで生まれるであろう幸福と ながいながい雨の後 すっかり晴れ渡った空の下で ゆっくり今をあじわいつくすことをめざすべきなのだ ゆっくり今をあじわいつくすことをめざすべきなのだ もちろん ぼくはここにいる ここにいることがすべての始まり もどる まっ青な空のまんなかにいる ずぅーとずぅーとここ何か月もずぅーと考えていた つかまえようと手をのばしてみても 指のあいだから サラサラとこぼれてしまう 砂のような記憶 十一月の良く晴れた日の午後 君の部屋へ行ったよ 日の暮れたこの場所で 君がいなくなったことを知る ぼくは君のいったい何を見ていたのだろう 知ろうとしなければ見えてこない 気づくこともない 美しく悲しい君の音楽のむこうがわ うつむいて見えた君の意味が少しだけわかるよ 遠くに見えた君との距離は はかることもできない 君はもっていた熱い情熱で この現実とやらを駈けぬけて まっ青な空のまんなかにいる 遠い空の下でぼくの生活の歌をうたおう 君が見透かしていた現実に ぼくはぼくなりの 居場所を見つけるために生きているのさ はてしなくひろがり輪郭をうしなう景色のなかで 見えるものまるごと印象という絵の具で切りとるのさ 見えるものまるごと印象という絵の具で切りとるのさ 君はもっていた熱い情熱で この現実とやらを駈けぬけて まっ青な空のまんなかにいる まっ青な空のまんなかにいる もどる
君と僕の心の距離
僕と坂田ひさしの距離はいまちょうどいい感じだ。今回のこのアルバムのレコーディングか佳境に時、寝不足と疲労で意識朦朧となりながらも僕はそんなことを考えていた。僕が坂田ひさしのアルバムのプロデュースを引き受けたのは、実は話の勢いにまかせて出てしまった安請け合いだった、と告白しておく。93年の夏、ハーパーズ・ミルのカウンターでコーヒーを飲みなから、前作の『オン・ザ・ロード遠くはなれて』について話していた時、サウンドそのもののクオリティーの話になった。そして、彼が僕のバンドザ・スナフキンのアルパム『ホリー・バーバリアンズ』のサウンドの質感がとても気に入ってる、と語った際、僕は「じゃあ次はスナフキンのメンバーを使ってアルバムを作ればいいじゃないですか」と、つい口を滑らせてしまっていた。本当は軽い気持ちでそういったのだが、坂田くんはその話を心底喜んてくれたのだった、翌朝、僕らは山中湖にあるEggsという録音スタジオに出向き、スタジオ内の機材などについてスタッフからあれこれ話を聞いたそのスタジオの中に入った瞬間から坂田ひさしのヴィジョンは実現への道を歩み始めていたのだ。僕は彼にアルバムの感想を延べると同時にひとつのアイデアを口にしただけだった。けれども、その時すでに彼の頭の中には次作のアルパムの構想か浮びつつあったのかもしれない。ちょうど1年が過ぎた今年の夏、僕は彼に「やろうよ」といい、その2週間後には甲府から9曲入りのDATか送られてきた。僕はその中の歌を何度も繰り返し聞きながら色々考え、独断でバック・ミュージシャンを決め、リハーサル・スタジオに予約を入れた。そして、このブロジェクトは10月30日にようやくスタートしたのだった。この『青の地平線』というアルバムには“心の距離”をテーマにした作品が沢山収録されている。もしかしたら全ての歌がそうかもしれない。坂田ひさしと坂田真澄とのl3年に及ぶ暮らしの中から派生した葛藤や苦悩や、安らぎや幸福感。本作はそういう意味で彼と彼女の心の距離が刻まれた、ふたりの無償の愛の記録だと言えるかもしれない、そんなことをふと思った。センチになってちょっと泣けてくる……でもすぐに元気になる。そんな愛おしい作品集になった。坂田くんが嬉しそうにこのCDのブレイ・ボタンを押す姿が目に浮かぶ。もちろん僕も同様だ。こんな素敵なアルバムの制作に関わることかできて嬉しい。ザ・スナフキンのそれぞれにとっても、記念になる名盤が誕生した。
本人による曲解説 ◎心の森に花の咲く この曲は1980年の作、まえのCD に入れられなかった曲で、 友部正人さんになぜこの曲を入れなかったのかと言われ二枚目 を作るきっかけになりました。タイトルは永島慎二のマンガのタイトル。 ◎月をみにいかないか 月をみにいこうよと三才の尚也がぼくを誘うのです。 子供はとんでもないインスピレーションを与えてくれる。 ◎君の肩越しに拡がる世界を見つめている この曲ほど最終形が見えない曲はなかった、下村さんのアレンジも 最初のアイディアからずいぶん離れていった、でも下村さんもぼくも そのことを楽しめたと思う。 ◎ゼロにたっている まえのCDを作ってからそれまでのスタイルにこだわらなくてもいいなと 感じていて、ベン・ワットのようにギターが弾けたらなと思っていた時に出来た曲。 ◎ここにおいでよ 河口君のギターが隙間をすり抜けていく。この曲は真夜中のハーパーズ・ミルで録音された。 ◎夜行列車はゆれる 平ちゃんのスライドと河口君のハープがかっこいいなー。 ずいぶん荒っぽい歌い方で今までの僕からは想像しがたいが、歌っていて一番楽しかった曲。 ◎おわり始まり 二月にボブ・ディランを観に妻と武道館へ行った、ディランはパワフルで そのエネルギーが僕のなかで生き続けていた時に出来た曲。 ◎さよならケルアック 二十代の頃から読み続けている人が僕には三人いて、一人はカルロス・カスタネダ、 もう一人はG・Iグルジェフ、そしてこのケルアック。 ◎ぼくはここにいる 自分のスタンスを自分の言葉で言っておかなきゃと思い作った曲。 スタイルは古くさいと思うけれど離れられないなとも思う。 ◎まっ青な空のまんなかにいる 三年程前に亡くなった藤本弘樹君に捧げた曲。トップ・オブ・ザ・ツリーという 彼のアルバムのライナーノートに書いたものを草稿に作った曲。 宮谷さんのペダルスティールギターが美しい。 もどる 下村誠が渾身の力を注ぎプロデュースした、甲府の吟遊詩人・坂田ひさしの セカンド・アルバムが遂に完成!! 1995年2月1日発売 アルバム『オン・ザ・ロードを遠くはなれて』から2年4ヶ月。プロデューサーに 下村誠を迎えて制作された坂田ひさしのセカンド・アルバム。ザ・スナフキンの メンバーが全面協力して録音された本作のサウンドはプリミティヴなエネルギーに 満ちている。まさに必聴すべき名盤です。 [全10曲] もどる